10月20日は皇后陛下のお誕生日。
かつては天皇誕生日の「天長節」に対し、
「地久節」と称していた。
お誕生日に際し、
皇后陛下が記者団の質問にお答えになったお言葉が公表された。
東日本大震災で被災された人々をはじめ、
自然災害の猛威に晒された国民の犠牲へのお優しい労りと
深刻なご心痛、皇室の祭祀伝統についての確固たる使命感、
皇太子妃殿下の長年に亘るご病状にご快癒の兆しが見えることへの
お喜びなどを、思い深く、かつ率直にご披瀝になっておられる。
中でも注目すべきは、
わざわざ憲法論議にお触れになったことだ。
明治時代のおびただしい私擬憲法(民間の憲法草案)に言及され、
以前、あきる野市の郷土館で皇后陛下ご自身がご覧になった
「五日市憲法」を取り上げられた。
正式名称は「日本帝国憲法」で、
小学校教師の千葉卓三郎を中心に、五日市の地元住民が、
討論を重ねて作ったもの。
数ある私擬憲法の中でも、
極めて「民衆」的な草案として知られている(色川大吉氏)。
しかし興味深いことに、立憲「君主」制への傾斜が顕著で、
戦後の“進歩的”な学者にはもう1つ評判が良くない。
冒頭には「神武帝の正統」であられる今上天皇の統治が強調され、
「行政官」の上位にある「議院」は、
「民撰議院」と「国帝」によって任命される「元老院」の二院制と
定める。
どうやら「民衆」的であればあるほど、
戦後の左系の学者が期待するような意味で「民主主義」的ではない、
という逆説が存在するようだ(坂本多加雄氏)。
それはともかく、皇后陛下は五日市憲法をご覧になったご感想を、
以下のように述べておられる。
「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、
自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た19世紀末の日本で、
市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、
世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と。
ハッとするようなご指摘ではないか。
時間軸では明治時代の憲法制定以前にまで遡り、
空間軸では全世界を視野に収めておられる。
19世紀末の時点で、
庶民までが一国の憲法草案作りに進んで加わり、
さらに国内各地で競って民間の憲法草案が練られていた
(それも長期の「鎖国」後にも拘わらず)、
などという類例が、果たして世界にどれだけあるのか。
真に民衆に根差した民権意識という点では、
我が国は決して後れを取ってはいない。
そう静かに示唆しておられる。
江戸時代における住民自治(=政治参加)の伝統も当然、
想起されよう。
世上、しばしば見受ける軽薄な憲法論議とは、自ずから格調が異なる。
これは、我が国における立憲主義の「根」の深さを、
具体的な事例を挙げてお示しになっているのに他なるまい。
しかもそれが結果として、
立憲主義を軽んじるような傾向に対する、
高いお立場からの痛烈な警告にもなっているのを、
我々は見逃すべきではあるまい。
皇后陛下という、甚だ制約されたお立場を決して踏み外すことなく、
心ある国民に向かって懸命に警鐘を鳴らしておられると、
私は受け止めた。
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